瞑想が続かない人へ | 瞑想を「頑張らない」ために必要なこと

この記事は、どうしても瞑想が続かない人のための瞑想の心構えがよく分かる記事です。

※3部作『瞑想がもたらす安らぎと解放』の第2回:瞑想の心構え編です。

 

瞑想を実戦する前に必須となる考え方を細かく書きましたので、最後まで御覧ください。

 

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↓↓ 第3回はコチラ

(制作中)

 

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はじめに

 

「瞑想が有効なのはわかった・・・けど、瞑想って難しいんでしょ?」

「今日も瞑想をやらなきゃいけない。でも、なんか面倒くさいかも」

 

そう思った瞬間、ふっと心が重くなった経験はありませんか?

 

心を整えるはずの瞑想が、いつの間にか「義務」、「我慢」、「努力」に変わってしまって続かない・・・

 

これは決して珍しいことではありません。

 

何故なら

 

ネットで“瞑想のやり方”を調べれば

 

「毎日20分以上」

「姿勢を正しく」

「雑念を排して集中を」

 

など、どこか “ちゃんとしなきゃ”、“こうするべき” が溢れています。

 

でも本来、瞑想とはもっと自由で開かれた体験のはず。

無理に集中しようとしなくていいし、関節が痛くなるような座禅を組む必要もありません。

 

むしろ、心に静けさが訪れる瞬間というのは  

 

頑張って探しに行くものではなく、苦労の末に獲得するモノでもなく ふと気づいたときにそこにあるもの なのです。

 

重要な事は

 

瞑想によって『まだ、ここにはない何か』を頑張って見つけるのではなく

『いま、ここにある全て』となります。

 

キーワードは

 

【いま、ここ】

【がんばらない】

【正しくやろうとしない】

【ただ戻る】

【あるがまま】

 

私たちの中にすでにある“静けさ”を再発見するヒントとして、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

瞑想の心構え

瞑想を「頑張る」ものにしてしまう心理構造とは?

 

「あぁ、今日も雑念ばっかりだ・・・これじゃダメだ。瞑想って難しいよ」

 

こんなふうに感じた瞬間、瞑想が続かない原因になってしまいます。

 

多くの人が陥る罠───それは、瞑想を「正しくやるべき」ものだと思っていること。

 

 

その背景には

 

「瞑想に集中できない → このままの自分はダメだ」

「だから頑張って成長して、上を目指さないといけない」

 

という自己評価の低さが起因しています。

このような思考は自己の劣等感・無価値感に結びつき、反芻思考の元になっていきます。

 

 

確かに、「瞑想 始め方」「瞑想 心構え」でネット検索すると

「一日何分やりましょう」「呼吸を何カウント数えましょう」というハウツー情報が溢れています。

 

それらは明確な提示があってわかりやすく、初心者にとって手助けにもなりますが

一方で、「正解へのこだわり」「正しさという名の思い込み」を育てる毒にもなり得ます。

 

 

瞑想で最初につまずくのはここです。

 

意識の“チャンネル”という比喩がなぜ有効なのか

 

反芻思考に陥っている人というのは、気にしすぎに起因していることが多いです。

 

そして

 

「自分が気にしすぎなのはわかっている。それを治したいけど、気にしてしまうのだからどうしようもない・・・」

 

これが 多くの人の頭を悩ませる種となっている ことと思います。

 

さて、そこで登場するのが

 

この記事の肝である「意識のチャンネルを切り替える」という発想です。

 

これは瞑想を「集中」ではなく「選局」に置き換える比喩であり、散らかった頭をシンプルに整える鍵になります。

 

テレビやラジオのチャンネル切り替えと似ている

・テレビにはニュースもグルメも音楽もドラマもある

・チャンネルを合わせれば、その世界が映る

・気に入らなければ、チャンネルを変えればいい

・必要なら何も写っていない状態(電源オフ)でも構わない

 

人の意識もこれと同じです。

 

 

瞑想が雑念だらけになるとき

───それは『いま、ここ』から遠ざかり

 

・不安や恐怖チャンネル

・後悔チャンネル

・自分はダメだチャンネル

・何かむかつくチャンネル

 

などに意識がロックされている状態です。

 

そこで意識を切り替える・・・つまり「チャンネルを変える」ことで、内面の風景を切り替えることにつながります。

それができれば、嫌なチャンネルから静かに離れていくことができます。

 

「チャンネルを切り替える」という感覚化

・吸って吐いた息で「呼吸のチャンネル」に合わせてみる

・手や足裏の感触に集中する「身体感覚チャンネル」に戻る

・景色の色、音や、風の肌触りに戻す「五感チャンネル」に切り替える

 

こうした比喩を思い浮かべると

 

「雑念がわいても大丈夫。それもひとつのチャンネルなんだな」と感じられるので

 

あとは、頑張るのではなく【選択】するだけ

 

この気づきがあると、瞑想が非常に続きやすくなります。

 

雑念が多い方は以下のような本を読んでみるのも、お勧めです。

意識は“反応”をエネルギーにしてしまう

 

さて、ここでもうひとつ大きな視点を紹介します。

 

それは、『反応しない』ことの大切さです。

 

「瞑想中にいろんな思考が浮かんできて集中できない」と感じると、多くの人は「邪魔するな」「打ち勝とう」とします。

ですが実は、その“反応”こそが、意識をさらに強く雑念に引き込む“燃料”になってしまうのです。

 

例えば

 

「今朝のあの言い方、失礼だったかな」

 

と、ちょっとした失敗が頭をよぎる。

 

その思考に気づいた瞬間

 

「ああ、なんで今そんなこと思い出すんだよ」 

 

と自己ツッコミを入れてしまう

 

───それが、反応です。

 

そのツッコミ・・・あるいはジャッジが、むしろ雑念を深く掘り起こしてしまいます。

 

まるで蚊に刺された後でかけばかくほど痒くなるように

“二の矢、三の矢”と連鎖する反応が、新たな反芻思考を生んでいく。

 

これが、意識が雑念を強化する構造なのです。

 

 

だからこそ、【気づいて、ただ戻る】。

 

反応しないで、リラックスする。

 

波が立たない静かな湖のように、スッ…と呼吸や身体感覚のチャンネルに戻す。

この在り方こそ、瞑想における核心のひとつです。

 

TAKA
TAKA
「えーと、あれは・・・」とか、そういう些細な言葉も”反応”に含まれますね。

『Don’t think, feel.(考えないで、感じてみる)』という格言は、この事を指しているのでしょう。

 

リラックスするには入浴が一番

瞑想の実践は次回(第3回)にお伝えしますが、座って呼吸や姿勢を整えるというやり方以外にも

簡単に心身を解きほぐすことができる手段があります。

 

それは入浴』。

例えばお風呂に入る時、イライラしながらお湯に浸かっている人はほぼいないと思います。

 

頭の片隅にその日にあったイヤな出来事が浮かんでくる事もありますが

「…あぁ、あったかいな、気持ちいいな」という感覚が一番占めているはずです。

 

そういう時こそ、反芻思考から解放されて、リラックスする絶好のチャンスです。

 

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使い方は簡単で、沸いたお風呂に5サジ前後を入れて溶かすだけです!

 

「努力」の瞑想から「在り方」へ

 

そもそも、「努力してしまう」とき、人はどこに意識を向けているのか?

───それは、『いま、ここ』ではなく、「結果」や「未来」に意識が向いている状態です。

 

たとえば

 

・自分は上手にできてるだろうか(評価への期待)

・雑念なくできたらいいな(未来への願望)

・こんな調子で瞑想を続けていいのだろうか(長期視点の不安)

 

これらの思考はすべて、『いま、この瞬間』から意識をずらします。

 

その結果、瞑想は「いまここにある」ための技術であるにも関わらず

逆に、“いまを抜け出そうとする努力”になってしまうのです。

それは例えば、身に纏った鎧が重くて苦しんでいるのに
鎧を脱いで軽くするより、むしろ鎧を分厚くしていくような作業とも言えます。
土屋
土屋

 

だから、瞑想に必要なのは「非・努力」

 

意識的に『いま、ここ』に帰還するという、力強い選択です。

 

・呼吸にただ気づく

・雑念が浮かんでもジャッジしない

・反応せず、ただ戻る

 

そのくり返しが、努力ではなく【在り方】になっていく。

 

そしてその在り方が、少しずつ、日常にも波紋のように広がっていきます。

 

「期待」が瞑想を苦しくする理由

 

瞑想を始めたばかりの人がつまずく最大の壁があります。

それが「変化を期待しすぎること」です。

 

・瞑想したら心が静まるはず

・反芻思考がおさまり、ストレスが消えるはず

・自分をもっとコントロールできるようになるはず

 

この「はず」が、「○○であるべき」「○○でなければいけない」と同じように

知らないうちに瞑想を、自分を締めつける“手段”にしてしまう。

TAKA
TAKA
ああ、そうか。成果や結果を求めると期待・・・
「ほしい、ほしい」になって、それが執着 ~ 瞑想の妨げに繋がるのですね。

 

すると、数分座っても

 

「落ち着かないな・・・」「反芻思考が止まらない・・・」と、焦りや評価の反応が湧いてきます。

 

───でも、忘れないでください。

 

瞑想は「静かな心を得るための行為」ではなく、今の自分を“あるがまま”観るための場なのです。

 

だからこそ、瞑想の上達とは「何も起きなくていい」という感覚に慣れていくこと。

 

そうした “変化を期待しないこと”。

逆説的に、それがかえって変化を呼び込むのです。

 

期待を手放すというのは「何かをあきらめる」のではなく

張りつめた心をゆるめ、『いま、ここ』にチューニングを合わせ直す勇気のこと。

 

それは、とても静かで、でも力強い選択です。

 

 

そして瞑想は

 

植物が芽を出し、やがて花を咲かせるように

起こることは必要なときに、完璧なタイミングで起こるという

 

【万物への揺るぎない信頼】へと繋がっていくのです。

 

苦しみを解くには、まずは服をゆるめる

張りつめた気持ちをゆるめるには、いきなり心の方をどうにかしようとするのではなく

まず、服装の締め付けをゆるめるというアプローチから始めてみるのも有効となります。

 

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その身体のゆるみが、心の余裕を取り戻す突破口になる人も多いです。

 

お仕事のある日はともかく、休日などはいつもと違う服を着て過ごすと気持ちのリセットにもなるのでオススメです。

 

ただ「戻る」が瞑想の本質

 

ここまでの話を踏まえて、瞑想の核心に迫りましょう。

 

瞑想において重要なことは

 

「特別な領域に到達する」ではなく、「戻る」ことです。

本来の在り方を「思い出す」、という表現をしてもよいでしょう。

 

 

意識がどこかに飛んでもいい。

雑念が何十回湧いてもかまわない。

そのたびに、やさしく「戻る」。

 

呼吸の感覚へ。

手のひらの温もりへ。

あるいは、ただ静けさへ。

 

 

この「戻る」「思い出す」ことを、努力でなく、ただの習慣に変えていく。

 

「戻らなきゃ」ではなく、「戻れる」ことに気づく。

───それが、瞑想を“構えずにできる”ものに変えていきます。

 

 

難しく考えてしまう人は、あるいはこう捉えてもいいかもしれません。

 

瞑想とは、意識をどれだけやさしく戻せるかを確かめる遊びのようなもの。

 

すると、それは努力や我慢・・・「目指すべき境地」「乗り越えるべき壁」になり得ません。

眉間にシワを寄せながら瞑想に臨んでも、深刻にしかなれないです。
正解を求めず、期待を手放し、気持ちを楽にして望むのがいいと思います。
土屋
土屋

 

瞑想は「do(する)」ではなく、「be(在る)」

 

瞑想というと、「何かをすること」と捉えがちです。

・呼吸に集中する

・姿勢を整える

・心を落ち着ける

───それらは一見すべて「do」、つまり行為のように見えます。

 

 

でも、本質は違います。

瞑想とは、作為や動機をもって「がんばって見つけに行く」ではなく、「向こうからやって来たものに気づき、受け取る」こと。

 

つまり、do(する)ではなく、be(在る)

そこにただ座って、ただ呼吸し、ただ感じる。

 

それだけで、瞑想はすでに起こっている状態になります。

 

 

この感覚に慣れてくると、日常のなかでも『いま、ここ』にただ在るという姿勢が育っていきます。

 

呼吸・・・すなわち、【命】の中にいるということ。

 

感情の波に呑まれず、立ち止まって、本来の自分に戻ること。

 

 

それは言葉にするととても地味で、あるいは抽象的で、目立つ変化ではないかもしれません。

 

でもそれこそが、内側の静かな革命です。

外側で何が起きていようと、内側では【私は、いまここに在る】という感覚が、芯として根を下ろしてくる。

 

だから瞑想は、自己の成長や結果を求めて“やる(do)”ものではなく

“すでにそこにある自分の意識の場”に、ただ“戻る”、“在る(be)”だけでいいのです。

 

 

そう考えると、瞑想はどこでも続けられるようになります。

 

駅のベンチでも。

 

歯磨き中でも。

 

誰かと話したあとに、そっと目を閉じるほんの数秒でも。

 

その人が「be」であることを選んだ瞬間から、瞑想は始まっています。

TAKA
TAKA
「beであることを選ぶ」・・・これも下手すると“作為”になるようです。
なかなか説明や理解が難しいところですね・・・
「私はいま瞑想状態に入っています」と、口(言葉)では何とでも言えますからね。
こればかりは体感してもらうしかないです!
土屋
土屋

 

瞑想を“育てる”という感覚

 

瞑想が「やるもの」でないとしたら──

それは、どう深まっていくのでしょう?

 

答えは、“育てる”という感覚にあります。

 

 

はじめは数分座って静かにしているのも大変かもしれません。

集中できない日もあるし、感情に呑まれて何も感じられない日もあるでしょう。

 

でも、植物に水をあげるように、焦らず、ゆっくりと

ほんの少しずつ丁寧に“戻って”いく。

 

そしてあるとき、「ああ、自分はちゃんとここにいたんだ」と気づく瞬間が訪れます。

それは、種が育ってきた証です。

 

 

瞑想は、「変化させよう」と思ってもその作為によっては変化しません。

それどころか「何で変化しないんだ」「全然リラックスできないじゃないか」という焦りや不安を増幅させてしまうでしょう。

 

でも

 

「別に変化してもしなくてもいい」

「作為を手放せば勝手に変化していくだろう」

「リラックスは頑張って目指すものではない」

 

と思っていると

静かに、でも確実に、内側で変化が育っていきます。

 

嫌な事があるたびに

「これじゃダメだ、ポジティブに考えないと」と自分に言い聞かせる必要もなくなります。

 

 

この“育てる感覚”が身につくと

瞑想は“習慣”を超えて、自分の一部になります。

 

深く座れない日もあっていい。ポジティブになれなくてもいい。

でも、そういう日さえも瞑想を“育てる”チャンス。

 

どんな自分であっても、「ただ戻る」ことで、その在り方を肯定する。

 

───そうして瞑想は

誰かに教わった【テクニック】から、自分らしい【在り方】へと変わっていくのです。

 

体の硬い方は三角クッションがあるとリラックスしながら座位姿勢を保てるのでお勧めです。

 

日常の中で、静かに効いてくる

 

人によっては瞑想によって「ハッ!」と、目が覚めるような体験をするかもしれませんが

本当に深い瞑想は、「すごいことが起きた!」という刺激的な体験とは、少し違う質感をしています。

 

例えば───

 

・誰かの言葉に、いつもなら怒りや悲しみで反応してしまうところで、ふっと、一呼吸できた。

・なんだか落ち着かない夜に、数分だけ目を閉じて座ってみたら、不思議と安心感が戻ってきた。

・散歩中、ふと風が頬を撫でた感覚に「ただそれだけで幸せだな」と思えた。

 

 

それはたぶん、大きな変化ではないかもしれません。

でも、静かに深く、その人の存在の軸を耕している。

 

瞑想は“特別な時間”ではなく、“いまこの瞬間に戻る習慣”です。

そしてそれは、どんな人生を生きていても、どんな心の状態にあっても、できること。

 

大事なのは、“戻れる場所”を知っていること。

それが“いま、ここにある”のだと、思い出すこと。

 

それだけで、人は安らぎと解放を取り戻し、そして自由になれるのです。

 

まとめ|瞑想は、「がんばること」から自由になる技術

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

この記事では、瞑想を「努力」ではなく「戻ること」として捉えなおす視点をお伝えしました。

 

・瞑想は、特別な才能が必要なものではありません。

・何かを変えるための“手段、行為”というよりも、『いま、ここの自分に戻る』ための場です。

・それは、do(する)ではなく、be(在る)という感覚に根ざしています。

 

 

自分を責めず、評価せず、ただ静かに戻る。

そんな瞑想の時間が、自分との本来の関係性を優しく整えてくれます。

 

そしてその積み重ねが、やがて【生き方】へと滲んでいく。

心に波風が立つ日も、慌ただしい日常の中でも、ふと立ち止まって還れる感覚。

それが、瞑想のもたらす最も深い恩恵となるでしょう。

 

 

☑️ 次回予告

この記事はシリーズ『瞑想がもたらす安らぎと解放』の第2回です。

 

第1回:反芻思考が人の心を蝕んでいく

第2回(本記事):瞑想を頑張らないために

第3回:初心者から経験者のための実践編(近日公開)

 

「がんばる瞑想」から、「戻る瞑想」へ。
そんな切り替えのヒントが、これらの記事で少しでも伝わっていたら嬉しいです。

この記事の筆者

土屋 和義
土屋 和義
格闘技ジム経営者、元プロキックボクサー&プロボクサー、柔道整復師。
登録者45000人程のYOUTUBE格闘技チャンネル運営。格闘技についての知識や技術を「楽しく分かりやすく解説」